人間というものは、学習する動物である。
人間じゃなくとも学習する動物はいるが、
おそらく人間に最も顕著であろう。
高校の時分、僕たちは最も学習した。
社会人となる土台を築いたと言っていい。
友人のこと、
歴史のこと、
数のこと、
恋愛のこと、
"性のこと"――。
学習したことには、応用、ないし実践が付いてまわる。
僕らの知識欲は、学習しっぱなしを許さない。
友人関係から学んだことは、新たなる友人に。
歴史の授業で学んだことは、現代のニュースの根底に。
数学の授業で学んだことは、日常に起こりうる数理的現象に。
恋愛の経験で学んだことは、また、新たなる出会いに。
我々には、このような『実践欲』と呼べるような機能が備わっている。
自分が面白いと思った話は、誰もが他人にしたくなる。
学習がこのような衝動を駆り立てることは、
おそらくは分別のある大人なら誰だって知っていることだ。
では、なぜ…。
なぜ、高校には保健の授業があり、
同時に体育でのプール授業があるのか。
我々の『実践欲』、それは強烈である。
向かいのプールサイドに水着の女子がいれば、
我々は、見ざるを得ない。
その、肥沃な三角州を。
言わば、大人たちにそう仕向けられていたのだ。
我々に罪はない。
今日は、そんなお話。
高校2年生当時。
僕らの体育の授業は5時間目、つまり昼休みの後。
季節は、夏――。
僕らは4時間目を終えると急いで弁当を貪り、
声を掛け合う。
「行こうぜ」
「…あぁ」
向かう先は、もちろん、プールサイド。
誰もいない更衣室で着替え、
誰もいないシャワーを浴び、
誰もいない塩素につかる。
プールには、いつも水泳部の連中がいた。
夏場しか活動できない、セミのような彼らに、僕らは頼み込む。
「端っこ、使わせてよ」
彼らは気前良く、端のレーンを空けてくれた。
僕らの、いや、僕のたくらみに気付いていないのだ。
「体育の予習なんて、珍しいな…」
彼らは微笑みながら、そう目で語っていた。
僕らは、知恵を振り絞り、遊んだ。
僕と友人Bの発想を足し合わせれば、飽きることなどなかった。
飛び込んだ。
ビート版を、股に挟んだ。
足ヒレをつけて、オリンピック選手のつもりになった。
足は、何回もツった。
そこには、高校生にしても幼すぎるぐらい、
無邪気で、純粋な、僕らがいた。
シモネタ要素満載の高校のプールに浸かっていても
下ネタなど微塵も考えていなかった。
クラスの奴らがチラホラとプールサイドに現れると、
「あっ、ずるいぞ。先に来てたのか!」
彼らはそう言って、羨ましそうに僕らを見た。
先生が来ると、みんな並んでいた。
僕らの水着だけ、濡れていた。
女子たちは、時間に正確だ。
僕らに水着姿をさらす時間、それを最小限に食い止めたかったのだろう。
水着に着替えずに、後ろに座っている女子もいた。
僕らは表面上は何の気にもしていない風を装っていたが、
内心は、
「アイツ、今日…クケケケ」
と、何故か勝ったつもりになっていた。
この辺から僕らの無限大の想像力はしもネタという
フィールドを暴走し始める。
授業が始まると、まずは体操だった。
僕らはプールサイドに横一列に整列し、
女子たちも対岸でそうしていた。
おそらくここが、プール授業のハイライトだ。
その頃、裸眼で2,0というオスマン・サンコン並みの視力を有していた僕は、
女体の観察に余念がなかった。
いや、僕だけではない。
誰もが、対岸を見ていた。
「○○、ハンパねぇな」
声に出して言うやつまでいた。
女体を見ていた――というと、いささか語弊があるかもしれない。
僕らが見ていたのは、正確には一点だけ。
ある部分、ある地方。
それは女体の下部に位置するアマゾン川デルタ。
そこにはセルバと呼ばれる密林が存在するという。
体操が、屈伸、伸脚に差し掛かった。
僕らは眼を細め、未踏の境地を探求する。
「ひょっとしたら、セルバが見れるかもしれない…」
そんな祈りにも似た願望、純粋な探究心は、
無残に打ち砕かれる。
そこには既に、人間の手が加わっていた。
森林伐採――深刻な環境問題は、こんな未開の地にまで飛び火している。
だが体操にはもう一つのハイライトがある。
『ジャンプ』だ。
僕らの視線は自然と上向く。
女体の上部で起こるだろう光景を目撃すべく、
全ての男子が少しだけ、顎を上げた。
それは、自然が生み出す神秘の光景。
眼前に起こる"ポロロッカ"に、僕らは嘆息を漏らす。
「生まれてきて、良かった…」
ここでうずくまるヤツもいた。
あまりに雄大な景色を前にして、
己の矮小さに耐えられなくなったのか。
それとも、
ただ単に勃起したのか。
今となっては知る術はない。
いざ、入水。
水の中を見てみるといい。
そこには必要以上に長く潜っているやつがいる。
彼らは現地民に悟られることなく、
入念にアマゾン川デルタを調査している。
プロの仕事、と言っていい。
1、2、3コースは男子のコース。
4、5、6コースは女子のコース。
3コースで息継ぎを忘れるやつがいる。
きっと4コースで泳ぐ平泳ぎの女子を見過ぎたせいだろう。
息継ぎを忘れるほど徹底的な実地調査を行う彼の将来は、
きっと立派な文化人類学者だ。
そうかと思えば、
後ろがつかえているのになかなかプールから上がらないやつがいる。
彼はきっと、調査を繰り返すうちに、己の中に大きなシンパシーが…
いや、
勃起だ。
授業の終盤、僕らに自由時間が与えられる。
僕らが本当に欲しているのは一人個室での五分間だけだったが、
大人はいつも分かってくれない。
この自由時間、僕らはいつも、悩む。
「めいっぱい、遊ぶか…
それとも、
めいっぱい、見るか――」
懊悩した末に、大半の者は前者を選ぶ。
だが僕は授業が始まる前、ブッチと嫌になるほど遊んでおいた。
無邪気にプールで遊ぶ学友たちを見て、一人呟く。
「遊ぶ?プールで?ちゃんちゃら可笑しいぜ」
そこにあるのは、
そう、自分がお腹一杯な時に、
ご飯をガッツいている友達を見るような…
あるいは、
自分がオナニーを済ました後、
「エーブイ見ようぜ、AV見ようぜ」と提案してくる友達を見るような…。
「バカじゃねーの、コイツ」的視線。
「今しか、ない――」
僕はいつも冷静だ。
3コースで4コースの女子と話し始めるやつ。
僕は心の中でそいつを嘲る。
「現地民との交流など無意味!
俺が求めるのは手付かずの自然だ!!」
しかし今にして思えば彼は、
もっと本格的な、長期的視野における、
現地民の承諾の元の包括的フィールド・ワークを目指していたのかもしれない。
だとしたら賢いヤツだ。
しかし時間は限られている。
水泳の授業の、10分やそこらの自由時間に、
そこまで交渉が進むとは到底思えない。
「遠く大きな理想より、
近くの確実な収益を」
これが僕なりの経営理念だ。
僕はきっと、水泳の授業をクラスで最も楽しんでいたと思う。
あの頃の僕は、こんなものだった。
誰もがこんなであったことを願いつつ、
ヒかれるのを恐れつつ、
「よくぞ正直に…」と褒められるのを期待しつつ、
ここに筆を置く。
女子サイドからの意見求む。